チューダー王朝の食卓(その1)

           
          (ハンプトン・コートの16世紀キッチン/撮影くに)

16世紀の英国の食生活は、ファッションほどの激変は見られなかった。
ただ新大陸から数種類の新しい食品や、フォークを使い始めた事などを
除けば、基本的に中世とあまり変わりがなかったのである。

小麦は豊富な肥料を必要とする。それゆえ純正な小麦から作ったパンを口に
できるのは、王侯貴族だけに限られていた。農民たちは、もっと手のかからない
ライ麦や大麦を育てて、自宅の食卓に乗せた。不作の年には、そこにドングリの
粉を混ぜて焼いたという。

もっとも貧しい小作農達の主食は黒くて重いライ麦パンか、「Carter's bread」
という、ライ麦と小麦の混合パンだった。独立自営農民(ヨーマン)は、それより
はましな全粒パン「yeoman's bread」を食した。
もっとも高価な白パン「marchet」は貴族だけが口にできるものだった。

中世からチューダー王朝にかけて変わったものといえば、料理を乗せる皿が
干からびたカチカチのパンの切れ端から、木の皿に変わった事だろう。
宮中では銀器や金の食器が使われた事は、いうまでもない。
料理はたいがい手でつまむものであり、食事中は体に触れることは不潔な
マナー違反だった。貴族であれば薔薇香水入りの水で、農民ならば普通の
水で手をすすいで、肉を摘んで食べた。もっとも、スプーンは昔から存在
していたので、ポタージュやスープを飲むのには困らなかったし、エリザベス
朝ではラフの流行により、首回りを汁で汚さないように、フォークが使われ
始めた。これはフランス王妃カトリーヌ・ド・メディチが、実家から持ち込んで
使い始めたものであった。

ロンドン南東チチェスター近郊、「国立野外博物館(World & DownLand
open air Museum)」では、チューダー王朝での調理を実演してくれる
という。チューダー風のボンネットとスカートエプロンをつけた女性が
16世紀そのままにの朝食を再現する。それによると、「夜明けに起きて
きた料理人は、まず火を起こして湯を沸かしながら、香辛料を挽く。」
全ての調理器具〜バケツ・サイズの木製お玉、すりこぎ、ナイフ〜などが
壁からぶら下がり、「meal ark」と呼ばれるタンスのような大型小麦粉収納用
の押入があった。食器洗剤の代わりに砕いた卵の殻で汚れ物を洗い、肉は暖炉
の煙で燻されながら天上から吊され、塩漬けの魚は干されて石のようにカチン
コチンだった。
「国立野外博物館公式サイト」

香辛料は貴重品なので、棚に入れてカギをかけた。また、当時の主な飲料だった
エール(ビールの原型)や林檎酒もまた、キッチンで醸造された。
ポーツマスやサザンプトンの港の近かったチチェスターなどの海浜地帯では、
海産物も好まれた。塩タラやニシンの他に、淡水魚の鯉も食用だった。
また、意外なことに「牡蛎」は貧乏人が食べたという。
牡蛎は英国において、フランスほど珍重されなかったらしい。

16世紀、人々は明け方起き、6〜7時の間に朝食をとった。農民はパンにエールのみ
か、オートミールの粥かポタージュを。王侯貴族は3皿のメインディッシュに白パン
を食した。昼は一日のうちで最も重要な食事、すなわちディナーである。
11〜12時の間が昼食の時間だった。農民といえども、パンやオートミール粥の
他にチーズ、運が良ければ肉類も食卓に上がった。
夕方の6〜7時の間が夕食(Supper)である。就寝前に胃に負担をかけぬように
農民は主に野菜のポタージュにパンをとった。王侯貴族はチョウザメや野鳥のパイ
などの珍味を肴にフランス産のワインを傾けた、という。
いわゆる「アフタヌーン・ティー」の習慣は、19世紀、ベッドフォード公妃が
始めたものだと伝えられている。

            

            参考資料/
The Tudor History by Marilee Mongello
概説イギリス文化史 ミネルヴァ書房
ATW association of Teachers' Virtual School
国立野外博物館(World & DownLandopen air Museum)公式サイト