ヘンリー7世時代の用語解説
1485 ヘンリー7世即位 家臣団(ritainers)の解散 家臣団(ritainers)とは、貴族と「契約証書」によって結ばれ、使える貴族から
給料とともに「制服」や「徽章」を与えられた一種の私的傭兵部隊。
国軍を持たないヘンリー7世にとって、各貴族の軍事力として脅威となっていた。
ヘンリー7世は即位した直後の最初の議会において、解散命令を出す。
1504 制服法(Statute of Liveries)制定 いかなる身分の者であっても、その家臣を私的に養い、制服や徽章を与えることを禁ずる法律 1495 労働法(Statutes of Labourers)制定 浮浪者・乞食に対しての罰則を3日3晩の足かせから、再犯の場合は6日と延長して厳罰化する。最高賃金を規定、労働時間を朝5時半から夜7〜8時まで、秋から
冬にかけては日の出から日没までと決めた。
1485 最初の「囲い込み」禁止令 過去3年間家屋を所有、または農業用の土地を20エーカー以上借りている者は、
農耕を維持するために必要な土地や家屋を維持する義務を負うもの、とされた。
1491~1499 ウォーベックの乱(The Rebellion of Perkin Warbeck) ウォーリック伯が後援するエドワード4世の庶子、パーキン・ウォー
ベックが、暗殺されたと思われるエドワード5世を称して挙兵。
様々なヨーロッパの君主(フランス王シャルル9世、ブルゴーニュのマーガレット、神聖ローマ帝国のマキシミリアン、およびスコットランドのジェームズ4世)がウォーベックを支持。しかし1499年11月、ヘンリー7世に敗れて、ウォーリック伯とともに処刑。
1495 告発法の制定 いかなる身分の者であっても、治安判事もしくは巡回裁判官に叛逆の告発をすることを可能にした密告制度。これによりヨーロッパ宮廷にスパイが潜入し、英国からの亡命者の動向が詳しく報告されたり、ヘンリー7世を批判した者を告発し、両耳切断/晒し刑などの厳罰に処した。
1496 ジョン・カボートの大西洋横断計Royal patronage of John Cabot
ヘンリー7世はジョン・カボートの大西洋横断計画を支援し、翌97年、ジョンは息子のセバスチャンとともにブリストルからニューファンドランドまで航行。
さらに98年、ジョンは5隻の船団を率いて再度挑戦するも、途中で遭難したのか、行方不明になる。翌年セバスチャンが父の捜索を兼ねて出航し、カロライナラブラドル、グランドバンクなど広範囲に北アメリカの海岸を調査した。
1497 コーンウォールの反乱→詳細
ジェントリー(Gentry) ジェントリーは貴族よりは下で、農民より上位に位置する階層。ジェントリーの中に
も2段階の区別がある。上位「州ジェントリー」にはナイトKnigt(騎士)エスクワィア
esquire(盾持ち)と下位「教区ジェントリー」がおり、後者が全体の70パーセントを占めていた。かれらは大部分地主であったが、大商人、法律家、行政官、高位の聖職者、医師、大学教授なども含まれた。州ジェントリーは年に四回開催される「四季法廷」(Quater sessions)で治安判事で司法の役割を果たすだけでなく、下院議員として議会にも選出される。教区ジェントリーは、教区内の治安や貧民対策などに責任を持った。
ヨーマン(富農)Yeomen ジェントリーよりも小規模な地主で、農家を兼ねる。 ハズバンドマン(農民)Husbandmen 一般的な農民。都市における小商人、職人なども同じ階層とされる。
治安判事(Justice of the peace) 14世紀後半に確立された地方政治の中心的存在。当初は労働規制などの経済統制や治安維持が主な任務であったが、ヘンリー7世の治世下において、警察・裁判権も行使し、庶民の
日常生活全般を統制するようになった。在任中の業務には手当が出るが、決まった報酬を
受けるものではなく、名誉職として地方の有力ジェントリーが交代で就任した。
星庁省(Ster Chember) 1487年、ヘンリー7世の命により、主に反逆罪に相当する罪を裁くために儲けた裁判所。
ウェストミンスター宮殿(英国議会)の「星の間」に設置されたことから、この名で呼ばれた。
参考資料
新版イギリス史 大野真弓 山川出版社
概説イギリス史 青山吉信編 有斐閣選書