メアリー1世時代の用語解説

1553 ロンドン市長、メアリー女王の正当性を宣言
7月19日、ノーサンバーランド公の冊立したジェーン・グレイの王位を
否定し、ヘンリー8世長女メアリー王女の正当性を宣言。
9月30日、異母妹エリザベスを伴いロンドン入城
メアリー1世即位
同年10月1日、ウェストミンスター寺院で即位の後、夕方5時隣接する
ウェストミンスター宮に移る。同日死去した異母弟エドワード6世の遺体
をウェストミンスター寺院に葬るよう命令を下す
第一議会の開催(first Parliament)
10月5日、最初の議会開催、議題は母后キャサリン・オブ・アラゴンの
王妃としての正当性とヘンリー8世による離婚の撤廃
第二議会の開催(Second Parliament)
10月8日、エドワード6世治世の宗教上の法律の撤廃及びスペイン王子
フェリペとの結婚の打診
法王特使レジナルド・ポール(Cardinal Reginald Pole)英国の法王への帰依を宣言
11月30日、エドワード4世の王弟クラレンス公の子孫であるレジナルド・ポールを法王特使に任命し、法王への帰依の復活を宣言するが、解体された修道院の財産の返還は不可能であると法王側に通告、1年後法王もそれを認める
1554 スペインから使節の到着
1月2日、カール5世より婚約取り決めのための使節、ロンドンに到着
女王とフェリペ皇太子との結婚予定が発表される
ワイアットの反乱(Wyatt's Rebellion)勃発
反乱軍1月29〜30日に、ロンドン郊外に達する。詳細
メアリー女王、代理結婚
3月、フェリペ皇太子の代理使節エグモンドを通して仮結婚
フェリペ皇太子、メアリーと初対面そして結婚
7月23日、ウィンチェスターにて両者の初対面、2日後の25日ウィンチェスター
大聖堂で挙式
「Felipe and Mary, by the grace of God, King and Queen of England, France and Naples, Jerusalem and Ireland, defenders of the faith, Princes of Spain and Sicily, Archdukes of Austria, Dukes of Milan, Burgundy and Brabant, Counts of Habsburg, Flanders and the Tyrol.」
(神の恩寵により英国王と女王、メアリーとフェリペ、フランスとナポリ
 エルサレムとアイルランド、信仰の擁護者(なる称号)、スペインとシチリア
 王女、オーストリア公、ハプスブルク家の当主、ブルゴーニュ、ブラバンド
 チロル、フランドルの支配者)

 

1554
異端者火刑法の復活(Reinstated the Act for the Burning of Heretics of 1401)
1401年にヘンリー4世の決めた異端者火刑法を復活し、新教徒を次々告発
する。
1555 新教徒の弾圧始まる
10月16日リドリー(ロンドン主教)ラティマー(ウスター主教)火刑
翌年3月21日クランマー(カンタベリー大主教)火刑他

1557 フランスへの宣戦布告
スペインとフランスの開戦に合わせ、英国もフランスに宣戦布告。
スペイン海軍のために15万ダカットの援助を約束する
1558 カレー港陥落
1月7日、フランス軍の攻撃により、英国領だったカレー港陥落する

1558 メアリー女王 崩御
11月14日、メアリー1世、子宮ガンと思われる症状で重体、周囲からの
圧力で、カトリック信仰維持を条件に、異母妹エリザベスの王位継承を認める。
3日後の17日、聖ジェームス宮殿にて死亡、享年42歳、ウェストミンスター寺院に葬られる。

                 
                 

参考資料
Mary Tudor by Elisabeth Lee
Tudor place by Jorge H. Castelli
Mary Tudor and the Return to Rome by Sylvia Lacoski