エリザベス1世時代の用語解説(1)
1558 女王エリザベス即位 前年11月17日にメアリー1世の死去に伴い、その後継者であることを議会に
承認され、翌1月15日、ウェストミンスター寺院で即位。
補佐官の任命 ニコラス・ベイコン/国璽尚書に任命、ウィリアム・セシル/国務長官に任命
その他フランシス・タルボット(シュールズベリー伯)、
ウィリアム・ハーバード(ペンブルック伯)
エドワード・スタンリー(ダービー伯)ら、メアリー世時代の議員が改めて
枢密院に抜擢される。クリントン・セイ/海軍長官、ヘンリー・フィッツァラン
(アランデル伯)/王室家政長官、
ウィリアム・ポーレット(ウィンチェスター侯)/大蔵卿/他
1558 国王至上法の再宣言(Act of Supremacy) 「女王が世俗上の事項と同じく一切の宗教上・教会上の事項においても英国
唯一の最高統治者である」
内容はヘンリー8世の国王至上法と変わりないが、宗教上での「首長」の名称は女性には与えられないために、「最高統治者」と改訂した。その他、メアリー1世
時代に国王至上の原則が否定されたことを撤廃している。
この法律と礼拝統一法の宣誓を拒んだために、カトリックの高位聖職者は1名を除いて全員追放となったが、相変わらずカトリック勢力は北部の実権を握るハワード家を始めとする大貴族らの間で強い支持があった。その一方で、一般信者の多くが英国国教会と女王に恭順した。英国東南部・南部・ミッドランド地方は概ね新教徒化し、北部にはカトリックが根強く残った。
1559 礼拝統一法の再宣言(Act of Uniformity) 4月、エドワード6世が1552年に規定した英語版祈祷書を再度用いることを布告。
「Where at the death of our late sovereign lord King Edward VI there remained one uniform order of common service and prayer, and of the administration of sacraments, rites, and ceremonies in the Church of England, which was set forth in one book, intituled: The Book of Common Prayer, and Administration of Sacraments, and other rites and ceremonies in the Church of England; authorized by Act of Parliament holden in the fifth and sixth years of our said late sovereign lord King Edward VI, intituled: An Act for the uniformity of common prayer, and administration of the sacramentsthe which was repealed and taken away by Act of Parliament in the first year of the reign of our late sovereign lady Queen Mary「前の主権者エドワード6世の死により、『一般信者と聖礼式の管理、及び英国国教会使用後の他の教会のセレモニーに関する著書』は、前述の主権者
エドワード6世とその第6の年の議会によって認可されたが、前の最高位の女性、
すなわちメアリー1世の治世1年目に撤廃され、遠くへ追いやられてしまった。
(礼拝統一法冒頭文)」
内容は、英国国内であれば例外なく英国祈祷書の内容を遵守し、指定された形式に
則ってキリスト降誕祭他典礼式、毎週日曜日のミサを執り行うこと、また祈祷書を
侮辱した者への罰則などが述べられている。
最初の有罪宣告を受けたものは、6週間以内に保釈金を支払うか半年間投獄される
ものとする。再犯した場合は、保釈金無しの1年間の投獄を受けるとされた。
1559〜1566
聖職服論争(Vestiarian Controrersy) 1559年、エリザベスは全聖職者に対して英国国教会の定めた制服の着用を義務づけたが、清教徒の間からは「キリストの敵の制服」として、激しい
反発が起きた。それに対して1566年、カンタベリー大主教が制服着用の
義務を命じてロンドンの聖職者110名を招集したところ、37名が着用を
拒否して公職追放となった。
1563~
1571
39ヶ条(Thirty-Nine Articles)の制定と英国国教会(Anglican
Church)の確立
上記の「聖職服論争」に終止符を打ち、女王の主権を確立するために布告
された法律。冒頭に「according to the computation of the Church of England, for the avoiding of the diversities of opinions, and for the establishing of consent touching true religion put forth by the queen's authority(見解の多様性を回避しようとする英国国教会の計算と、女王の権力
によってもたらされる真実の宗教への同意のために)」とあり、宗教論争に
よる対立を極力避けるために、女王の名の下に全聖職者が従うよう命ぜられた。
その他教義についても触れ、人は信仰によってのみ義とされることを説き、
聖書を唯一の根拠としている点でカルヴィン派に近いものがあったが、白い
制服の着用や祈祷の時跪くなどカトリック的な要素も多い。
これによって英国国教会は国王をトップに、ルター派の構造に似た大主教・
主教・副主教・司祭長・司祭というヒエラルキーを確立した。
しかし39ヶ条は議会での激しい反対にあい、布告されるまで8年の歳月を要した
エリザベス朝の清教徒主義(Puritanism) 初期の頃、清教徒はメアリー1世の迫害の影響によって、エリザベスに好意的で
あり、主教制度を否定しなかった。しかしやがてエリザベスの中央集権的な傾向
に反発し、「主教を殿様扱いしてはならない」「全ての聖職者は平等であるべき」
だと称し、長老制度を取るべきだと主張した。これを「長老派(presbyterians)」という。この制度によれば教会を仕切るのは儀式を司る牧師と行政を扱う長老と会計を扱う執事の三者からなり、いずれも信徒の選出によった。牧師と長老からなる長老会が規律維持にあたったが、それは1つの教会単位から全国的規模までの基本的組織であった。長老派は政教分離が明確ではなく、英国教会内部に長老派が取り込まれることを期待して、国王をトップと認めることに同意した。
しかし別の一派である「独立派(Independents)」は、英国国教会からの独立を
目指した。独立派は、教会とは真の信仰者によって自発的に構成された集団である
べきであって、神以外に支配する者はなく、教会戒律の施行は信者全員に平等に
認められていた。各教会は協力提携はするものの、長老派のように階級や組織は
作らなかった。政教分離を明確に主張した。
高等宗務官裁判所The Court of Hight Commission 国王大権裁判所の1つで、宗教問題を取り扱うために1580年頃設立された。
エリザベスの治世においてはピューリタン弾圧のために用いられた。
1641年廃止。
参考資料
新版イギリス史 大野真弓 山川出版社
概説イギリス史 青山吉信編 有斐閣選書
女王エリザベス クリストファー・ヒバート 原書房
Hanover Historical Texts Project by Hanover College